『このオトコと暮らしたい!』という願望は、
モーニングセックスへの憧れだったりする。
振り返ってみると.....。
愛し合ったあと、裸で抱き合ったまま眠りに落ちて
そのまま朝を迎えられたら.....。
そのうえ、明るい日差しのなかで少し気だるい
メークラブなんかができたら、どんなに幸せだろうって、
ないものねだりの感情は、どんどんどんどんふくらんでいく。
でも、実際オトコと暮らし始めてみると
それは憧れとは無縁の代物だっていうことに
恐らくすべてのオンナが気付かされる。
不思議なもので、どんなに想像力の豊かで冷静なオンナでも
ラブモードにはいっている間は、
オトコとの暮し=とろけそうに甘いものだと
いう画一的な幻想しか抱けない。
そう、まさにそれは幻想なのだ。
確かにオトコと暮らし始めたばかりのころは、
モーニングセックスの幸福感にも酔うことができる。
このオトコを独り占めしているという、
あるいは一人のオトコに自分が独り占めされているという
歓びが、めくるめくような新しい快感をもたらしてくれたりもする。
一方、門限や終電を気にせずに愛し合えるということは
こんなにもあったかく満ち足りた気持ちになれるものなんだということにも
気がつく。
けれども哀しいことに、
生活が長引くにつれ、ある歴然とした事実を知り
オンナは青ざめる。
それは、ヒトには生物的リズムの個体差があるということ。
恐らく一卵性双生児でさえ、大人になれば差が出るはずだ。
ましてや、オトコとオンナじゃあ怖いほどリズムが異なる!
眠たくなる時間。
心地よく目覚められる時間。
身体に必要な睡眠時間。
疲れを感じるタイミング。
性欲の湧いてくるリズムetc.....。
おまけに、こちらが仕事を持っている身だとさらにややこしくなる。
明日は、大切なプレゼンをしなくちゃあという前夜だったりすると
コンディション維持の充分な睡眠のほうが
ショーツに伸びてくる手より格段に大切になってくる。
そう、オトコと付き合い始め、暮らし始めたころの
優先順位は、常にオトコと抱き合う時間がピラミッドのてっぺんにあったのに。
でも、実際「暮らす」という目的が達成されてしまうと、
いつしかてっぺんは自分自身のコンディション維持にとって
代わられる。
さらに、生活が「結婚生活」なんていうものに移行して
子育てという空恐ろしいお役目が降ってくると
てっぺんの、自分のコンディション維持ってものさえ
ぶっ飛んじゃう。
赤ん坊の世話がてっぺんに来たときにゃあ、
ショーツに伸びるオトコの手をはたきたくさえなってくる。
ごめんね、アンタはひとつも悪くないんだよ、
嫌いになったわけでもないしって、心の中で
謝りながら、でもオトコの手をはたかなければ
生存できない自分がそこにいる。
この変わり方に一番驚いてるのは実は自分なんだよって叫んでるんだけど、オトコは多分そこに気がつきはしないだろう。
で、いつかいつか余裕が出来たときにゆっくりねって
自分にも言い聞かせるんだけど、
いつかいつかの約束はどんなときも無いも同然なので
やってこない可能性のほうが断然高い。
とは言うものの、オトコとの暮らしは別の意味で、
びっくりするほど暖かく幸福だったりする。
二人でスーパーのカートを押しながら買い物をする時間。
肩を寄せ合いながらリビングで映画のDVDを見る時間。
さらに、家族という単位になってみんなですごす時間。
もう絶対あの殺伐とした独り暮らしには戻れないやと思っちゃう。
つまり、 オトコと暮らすということは、想像するほど甘いものじゃあない分、
想像するほど悪いものではないという事。




