「リリってさ、ほんと“女”だよね」
友達カップルと3人で飲んでいる時に、突然、男友達D(27)にそう言われて、私は慌てた。
「そう? 私、これでも、なるべく平常心を保って生きてるつもりなんだけど……」
「いや。それでも滲み出てるって! なんでそんなにも“女”なの? ってくらいに(笑)」
(笑)って、おいおい、笑えない。女の子っぽいところがあるよね、と褒められたのなら嬉しいけれど、目の前にいるDは、ただ冷静に、私という人間の感想を述べているのだ。それが“女”って……。Dの彼女であり、私の女友達でもあるU(26)も、シレッと続けた。
「分かる分かる! リリの本読んでてもいつも思うもん。こいつ、どこまで“女”なんだって! アハハ!」
「……ア、ハハハ? 」
一応笑ってみたけど、顔が引きつった。もちろん、分かっている。私は、女だ。そして、“女を、謳歌しよう! 女って、最高! ”って感じのエッセイや小説を書いて暮らしている。でも、どうしてだろう。「リリって、ほんと“男”だよね」と言われた時よりも、複雑な気持ちになってしまうのは……。いや、その答えも、女である自分が一番、分かっている。だからこそ、「でしょ〜! 私って“ド女”なんだよねぇ♪ 」なんて気軽に笑えないのだ。(裏を返して言えば、「ほんと“女”だね」と言われて素直に喜べる女は、“ド”が付いてしまうほどにドロドロなレベルでは“女”じゃないということかもしれない。「私って“ドM”なんだよねぇ♪」と自称できちゃう女が、そこまでMではないのと同じように……)。
女って、頭がおかしい。
女って、マジで疲れる。
“女って”を、“お前って”に変えて、そっくりそのまま男に言われたこともあるが、私は別に傷つかなかった。何故なら、それゆえに困っているのはお前より私だ! という自負があったからである。「お前って、マジで疲れるぜ」と客観的に意見を言っているだけの男より、マジで疲れる生き物=女として毎日を生きているこっちの方が、比にならないほどしんどいに決まっている。(怒)。文句を言いたいのはこっちなのだ。「生理前後の情緒不安定を、君は知っているのかね? 自分の意思とは関係のないところで、毎月ホルモンバランスが、勝手に崩れるんだぜ? どうだすげぇだろ! 」と。(涙)。
とはいっても、女にも、いろんなタイプがいる。そう頭がおかしくない女も、一緒にいてそんなに疲れない女も、この世には存在する。たとえば、彼女たちは、『いつまでも“女”でいるための十カ条』なんていう雑誌の特集記事を素直に読める。私なんかは、そのタイトルを見ただけで、“いやいやいや”と拒否反応を起こしてしまう。だって、いつまでも“女”でいるなんて、考えただけで気が遠くなる! 昔どこかで読んだ、『女が、永遠に“女”でいることは、破滅への道だ』という一行の方が、遥かに説得力があり、“お〜こえぇ〜”と鳥肌ブルブルものだった。だって、
27歳現在、私の中で、“女”、爆発中。
だから私は、仕事に燃えることで男性ホルモンを分泌させてはその“女”をなだめ、セクシーな格好してクラブへいったり、エロい下着をつけてセックスしたりして残りの“女”を満たし、やっとのことで“冷静さ”を保っている節がある。年齢と共に、今は物凄くパワフルなこの“女”がうまい具合にぼやけていき、穏やかな気持ちで毎日を過ごせますように、と願っているくらいなのだ。わざとちょっと枯らすくらいで丁度いいほどの“女”を魂に宿してしまっている女にとって、必要な努力とは、女度をアップするためのものではなく、女度を絶妙なバランスを持ってダウンさせるもの。そして、ド女たちは、無意識の内に、そのための努力を日々、せっせとこなしている。
その証拠に、日々のその生活ぶりから、その性格から、「めっちゃ男らしい! 」と周りに言われている女って実は、めちゃくちゃ女だったりする。ド男とド女は、紙一重。女すぎるために、何故か、男らしくなるのだ。女を持てあましすぎているからこそ、男っぽくなることで唯一、バランスが保てるのかもしれない。しかし、自分の中のド男とド女の振り幅が大きすぎて、余計に頭が混乱してヒステリックになってしまうことも、多々……。って、やっぱ、どう転んでも、女は女なんだな。アハッ♪ (壊)。
余談だが、古代から、女は“女”であることに苦しみを感じていたという。奈良の薬師如来に、その証拠が残っているというのだ。人々が健康を祈りに来たというお寺に、「リュウマチが治りますように」、「持病が良くなりますように」というような願いが書かれたお札に混じって、「女でいることを治してください」という1枚が見つかったらしい。(!)。きっと彼女も、ド女だったのだろう。分かるよ、その気持ち。マジしんどいよね……。

